自分の心理と他人の心理。人のココロについて考えてみました。もしかすると真理にたどり着けるかも。。。
人の心理に興味のある人
人の心理に興味のない人
自分のココロと対話したい人
自分の心理、ココロとの対話
自分の胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸しましょう。そして、振り返ります。今日一日を。
朝起きてから、いまこの時を迎えるまでにどんなことがあったのか思い出します。たのしいこと、かなしいこと。腹の立つこと、うれしいこと。さまざまな感情がココロによみがえりますね。
自分の今の心理状況はどうなっているのか? こころの状態は?
ポジティブな言葉、ネガティブな言葉。どちらにも分類できなさそうな言葉。いろんな感情を表す言葉を目の前にして、そうした感情をもつに至った経緯をゆったりと落ち着いて考えます。
あしたの自分を想像し、もしも自分にとって嫌な感情が取り除けるとすれば、どうすれば実現するかを考えてみましょう。
自分のことは自分が一番よくわかる?
自分のカラダの健康状態は自分がイチバンよくわかる。なぜなら、自分の体を支配しているのは自分しかいないから。
ならば、こころの状態も自分自身がもっとも理解しているはず。こころも自分だけのものだから。
これらは真実ではありますが、真理ではないでしょうね。
客観的な視点。第三者からの視点が必要な時もある。じぶんでは気づかぬことも、はた目からはよくわかる。カラダのことも、ココロのことも、他者からの視点のほうが的確に現状を表していることがあります。
他人の心理は理解できるのか?
「あの人はなぜあんなに怒っているのだろう?」、「彼女はどうして悲しんでいるのかな?」、「ウチの息子の気持ちがホントによくわからない。。。」
他人の感情や気持ちがどのような状態にあるかを知ることができれば。。。とおもうこと。ときどきはありますよね。僕などはしょっちゅうです。
表情、声色、雰囲気からなんとなくは想像できる。イメージはできるが、ココロの深奥はわからない。なんとかしたい。なにか役に立ちたい。けれど、かける言葉がみつからない。みつかったとしても、声を発することができない。
なんとももどかしい。
悲しむ人を前にしたとき、もしかすると、沈黙がいちばんのいやしになるのかもしれない。
他者の心理は理解できないほうが、よりよき人間関係を気づけるのかもしれない。そう思うことがあります。
真理はちかづきもし、とおざかりもする
ものごとの正しい筋道。確実な根拠によって認められるもの。ふつう、『真理』とはそのような意味付けがなされます。
自分の心理と他人の心理。互いの思いが完全に一致することはあるのでしょうか。同じ映画を観ても、受ける印象は異なります。同じ場面で涙することにより、おなじ感覚を共有しているようには見えます。が、感覚の程度はやはり、異なるのでしょう。
強烈な感動を受けた涙と、その半分程度の衝動による涙。外からは同じ涙に映ります。区別するのは難しい。ほとんど不可能でしょうね。
自分の心理を理解することはおろか、他人の心理を理解しようなどというのは絵空事。ただし、理解しようと努める姿勢は持つべきでしょう。それが純粋な気持ちであれば。
畢竟、人間における心理は理解しがたいもの。自分の心理を理解できたと思う瞬間には『真理』にちかづき、他者の心理を理解することの難しさに直面した時には『真理』からとおざかる。
それが【心理の真理】である。何とかそのように考えることができるのではないでしょうか。
自分の心理と他人の心理について、より深く学べる本