人は考える生き物。人の運命とも、宿命とも表現できる”考えること”について考えてみました。
考えることが好きな人
考えることにつかれた人
もっと考えたい人
人は考えてこその生き物
考える。どこまでも。それが人間のあるべき姿。というより、そうした状態にならざるを得ない生き物であると思っています。考えることがなければ、人の喜怒哀楽は生まれず、他者とのコミュニケーションも発生せず、生きることが非常に困難になります。
僕はこう見えて、考えることが好きなタイプです。あ、すいません。実物をご覧になった方はおそらくいないので、僕の姿は分かりませんよね。プロフィール画像の通り、僕はちょっとハゲています。さらに、すいません。嘘つきました。だいぶんハゲています(笑)
ハゲであるなしに関係なく、僕は考えることが好きです。そのレベルもまちまち。今日のランチは何にしようか? 副業カテキョから帰ったら何を食べようか? しょうもないことから、どうしたら世界平和が実現できるのか? どうすれば楽にブログで月7桁を稼ぐことができるのかといった邪な考えもあります(笑)
人は一日のうちに、数千回もの選択をしているともいわれます。選択をするということは考えているということ。考えていることのレベルに差異はあれど、いくらかの時間を使って脳内では思考がめぐらされています。
たまに「考えるのが面倒だ」という人がいます。不思議です。考えるのが面倒という選択をするためには、考えなければならないからです。
まぁ、考えるのが面倒だとの気持ちは僕も大いにわかります。学生時分の数学のテストなどは、特に考えるのが億劫でしたからね。「なんやねんこの数列の漸化式は・・・」と、しょっちゅう文句を言ってました。
しかぁし。できれば考えることが好きになってほしい。考えることで人生は豊かになる。はず。なので考えることが好きになるための方法、きっかけについてお話してみます。
考えることが好きになるには
考えることが嫌いな人の特徴は何でしょうか。考えた結果、自分の選択に責任を持つことが嫌なのでしょうか。はたまた、複数の選択肢がある中で、どれを選んでもたいした違いはないと確信しているのでしょうか。いやいや、そもそも考えることに大した意味を見いだせていないだけなのでしょうか。
たぶん、どれにも当てはまりそうです。けだし、いちばんの妨げは、考えることに意味を感じない、ということですかね。
考えることは比較検討するということです。2つの選択肢があったとして、どちらを選ぶべきか考える。どちらを選んだほうが自分の得になるか、あるいは、どちらを選んだ結果、自分の不利益となるか。そうした思考が考えるということ。
目には見えませんが、考えることによって脳が鍛えられます。脳内が活性化します。たぶん。僕は医学者でも脳科学者でもないので、断定的なことは言えませんが、様々な本を読む限り、そうした表現をよく目にします。
筋トレすることで体の各部位に筋肉がつき、見栄えもよくなり健康にもなる。それは視覚的に明らかであるから、誰もが納得することです。しかぁし。脳を鍛えるための読書にしろ、考えることにしろ、勉強にしろ、脳内は目に見えないため、その効果がどのくらいあるのかがはかりしれません。
今日は1時間、読書をしたから、脳内はこれくらいは発達しただろう。というのは主観的なもので、目視できる物差しにはなりません。なので、こう考えましょうか。
考えるというより、信じると表現しましょうか。脳力は考えることで上がると。
こころゆくまで考えることで、新たな世界を知る
考えることと、読書は密接な関係にあります。また、書くことと読書にも、読書と考えることにも深い関係があります。
ものごとを深く考え、自分の納得いくまで、こころゆくまで考えること。それは新たな世界を知るために必須であると思います。
考えることにつかれることもあるでしょう。何もかも投げ出したいときもあるでしょう。そんなときは、ちょっとだけ休んで、また少しずつ考えればいいんです。完全に考えることを放棄した人生ほど、おそろしいものはありません。
2023年は卯年です。ぼくはアラフィフの年男となります。
僕自身も、こころゆくまで考え、うさぎのように飛躍する一年にするため、このブログを立ち上げました。
どうぞ、ご一緒に遥かかなたまで飛んでいき、新たな世界を発見しましょう。
そのために、今日も考えます。